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ご無沙汰しております

2010年02月13日
気づけば2ヶ月も放置してしまっていました。
何から書いていいのやら・・・です。

去年、12月の上旬、予定日を少し過ぎた頃に
無事、息子を出産いたしました。

もう忘れかかっていますが、ものすごい難産で。
3ニャンのために早く退院したいところでしたが
むしろ通常より2日延びてしまいました。

私のほうもかなりボロボロでしたが
息子の黄疸の数値が高かったのが原因です。

なんとか無事に退院しましたが、そこからも怒涛の日々でして・・・。

母とは出産前に、里帰りや産後の生活について衝突し、
「もう手伝ってくれなくてもいいっ!」とブチ切れていたのですが
片道1時間半かけて通ってきてくれて感謝。
慣れない息子の世話に3ニャンの世話を
ボロボロヨレヨレの体でやるのは結構しんどかったのです。

産後3週間までは母が泊まりで食事や掃除、
3ニャンのご飯やトイレなどの世話をしてくれて助かりました。

自分ひとりはかなり無理がきくほうだと思っていましたが、
生まれたばかりの赤ちゃんの世話は思った以上に大変で、
しかも無理すると母乳が止まる可能性もあるので
できるだけ休まないといけなかったので。。。

出産はまさに命がけ。
私の場合は特に難産だったので、産後は満身創痍でした。
出産中、もしかしてこりゃ死ぬかもと思ったほどです。

腎盂炎になった時も七転八倒だったし
てんかんおこしたエルに噛まれて指を手術した時も相当痛かったけど
私は痛みに強いし根性あるほうだと思ってました。
だからお産もきっと大丈夫、と。

しかし予想以上の激痛で「甘かった~~~!」と思いました・・・。

途中まで進みが早かったのに、いきみ開始から急に雲行きがあやしくなり、
いくら力を入れても出てこず女医さんが陣痛にあわせてお腹を全力で押すんですが
これが「殺す気か!」ってくらいの激痛で・・・。

それまでにも陣痛がかなり強いほうだったので
体力を消耗してしまったせいもあるのでしょうが
だんだんいきめなくなってきてしまい、
とうとう大柄で屈強な男性医師が交代。
そしてさらに全力で押す。

見ていた夫が「肋骨折れるかも」と思ったらしいのですが
この時点では私はすでに意識朦朧でほとんど覚えていないのが良いんだか悪いんだか(泣)

赤ちゃんが出てくる瞬間は最も感動的なはずなのに
意識不明で記憶がない。
オギャー!って泣き声で「あれ?生まれてる・・・?」と
だんだん意識が戻ってきました。
お酒も飲んでないのに意識がトリップするなんて初めてのことです。

産後、すぐに胎盤を出すために医師がお腹を揉むのも痛くて
意識朦朧ながら先生の腕をつかんで引き離そうとしていたらしく
医師に無言で振り払われ・・・。

徐々に頭がはっきりしてきたら
身に覚えのない酸素マスクに点滴姿。
いつの間に?
覚えてないんですが・・・。

それでもかかった時間は初産婦の平均の半分以下。
時間は短かったけど先生には「難産」と言われました。

そんな感じだったので夫も舞い上がってしまい
息子の生まれたての写真が一枚もなくて。

あまりにもいきみすぎて腕が動かなくなってしまい
私は分娩台の上でボーゼンとしてる間に
夫が真っ先に抱っこして「抱いたら泣き止んだ」とご満悦でした。
よかったね・・・。

あまりの辛さに、「終わった・・・終わった・・・」って
自分のことばかり考えていましたが
息子の顔をよく見たら白目が真っ赤になっていてびっくり。
聞いたら産道で締め付けられたためだという。
この子も苦しかったんだ・・・と涙が出ました。

ジーン・・・と感動しながら息子をベビーベッドに乗せて助産師さんと廊下を歩いていると
すれ違う人が私の顔をジロジロ見る。
何だろう・・・と思いつつ鏡を見ると
難産で力みすぎて顔中の毛細血管が切れたらしく
顔にタトゥー入れちゃったのかい?ってくらい青紫のまだら模様になっていて
思わず「ギャー!」と叫びそうでした。。。

恥ずかしかったのですが、同じような人がわらわらいて
偶然同じ時期に出産した友達は
痛みで顔をおさえていたらしく手のあとがクッキリ。
みんな大変だったんだね・・・。

あれはもう2ヶ月も前。
入院中も大変だったけどなんか遠い昔のように感じます。

退院後の3ニャンとの生活についてはまた後日。


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さようなら大阪?

2009年04月25日
まだ未定ですが・・・引越しを検討中。
地元・東京に帰るかもしれません。

こっちに来る時、嫌で嫌で・・・。
でも2年以上住めば都?
いざ別れを意識すると寂しくて別れがたいから不思議てろてろ汗

関西に住んだら、日帰りで京都や神戸へ行こう、とか
あれやってこれやって・・・と意気込んでいたけど
いざ住んでみたら何もせず引きこもってしまった。
十分できたと思うのは、たこ焼きを食べまくったことくらいか。

急いで今のうちに出かけなきゃ、と思って
いまさら大阪城に行きました。

大阪城

天守閣の展望台にものぼりましたよ。
でも実際は上からも下からもネットが張られ、
あんまり綺麗じゃなかったんだけどね・・・。

大阪城

キタにもミナミにも近く、本当に便利な場所に住めて
毎日、堀江や南船場、心斎橋でお買物できて
難波の道具屋筋にも行けたし
アメ村のタピオカドリンクが大好物だったし・・・
東京にいくら探してもこんな場所絶対見つからない。
銀座、新宿、恵比寿、浅草を一日でチャリでまわれって言われても無理だもの。
それに、家賃も2倍になります。

しかしいつかは帰らなきゃいけなかった。
遠距離の引越しは我々はともかく3ニャンにとってはかなりの負担。
連れてくる時は6歳前だった3ニャンも
引っ越す頃には3匹とも8歳になっている。

猫友さんたちにも「遠距離移動は10歳までが望ましい」と言われていたし
べこも足がよくなってきて、エルも毛が戻って元気一杯。
暑くなりきる前がベストなのかなーと思っております。

3ニャンをキャリーに入れて新幹線に乗せるのが
今からユーウツです・・・。

少しでも3ニャンのストレスが減るように
短時間でパパパッと移動できるように
今から少しずつ策を練らねば、です。


幸せな誕生日

2008年11月28日
元気になったエル、べこ、まも。(←この子はもともと元気ですがアップロードファイル

なによりの誕生日プレゼントティファニー

今年、夫からの誕生日プレゼントは辞退。
そりゃそうよ。
毎年いろいろくれていた夫だけど
この夏エル&べこの医療費はちょっとしたプレゼントどころじゃない金額に・・・。ゴミン。

3ニャンが元気でそばにいてくれるだけで幸せだ~~~

どんな高価なものよりも
嬉しいプレゼントなのだ!

しかし何もないのは・・・と思ったのか、花束をくれた。

花束

プレゼント=花束&元気になってきているべこ姉。
「おっきなお花、よかったねお母さん♪」 

花束

そして人気のレストランに行き(残念ながら店チョイスは失敗><)
帰ってきてケーキを食べた。
お祝いメールももらって幸せな誕生日でした。

ケーキ

それにしてもトンデモナイ年になってしまった・・・。
3ニャンを 産んだ時 引き取った時は若ママだったけど(?)

人間の子供と猫子供の決定的な違いは
犬や猫たちは我々の4倍のスピードで年を取り、
いつの間にか自分の年を追い抜いていってしまうこと。

かわいい子犬だった愛犬がいつの間にか老犬になり
この春亡くなってしまった。
私たち人間を置いて。

この悲しみからなかなか抜けられない。
もしかして一生抜けられないのかも。
去年の誕生日はまさか亡くなるなんて思ってなかった。
一年経つと色々変わります。

毎年父からのメールは「健康で誕生日を迎えられることに神様とご先祖様に感謝」という
いかにもその世代の親らしいもので
今までは「うん、そだね」といった程度の受け取り方だったが
今年は今までで一番この言葉がズシンと響く。

花束

来年の誕生日も3ニャンと一緒にいたい。

最近のお夜食

2008年10月03日
夫が毎日のように買ってきてくれる食べ物。
お陰で夜食には困らず、一時期心労で痩せたのに
一気にリバウンドですよ汗4

仕事で外で食事する時は
何かお土産を作ってもらうみたい。
今日のは特に盛りだくさん。

お弁当

「おむすび処 神燈里」
かわいい一口おにぎり。
色の着いたソーセージとか買わないけど
これに入ってるのはつい食べちゃう。

おにぎり

京都祇園の「どやさっ」のサンドイッチ。
サンドイッチよりも横についてるラスクが激ウマなの。

サンドイッチ

いつも感謝。

2008年10月02日
今日の月は意図のようにほそ~い三日月。
綺麗だなぁ。

月
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